すし宮川
宮川政明
─鮨職人を目指したきっかけ
好きだったものづくりから職人へ
昔から、工作も含めてものづくりが好きで、母親が料理を作っている隣で野菜を切ったりしていました。当時、料理に興味を持っていたのは、一緒に協力して作るとか、これは自分がやった仕事だということの満足感があったからだと思います。高校を卒業して、何を仕事にしたいかという時に、やはり料理の世界に入りたいと。鮨職人を目指したのは、中学生の時、叔父にカウンターの鮨屋に初めて連れて行ってもらって、「ああ、いいな」という憧れを持ったことからです。目の前で握った鮨が出てくるという体験が印象深く、そこが原点になっています。
─就職とその後のキャリアを聞かせてください
40歳で訪れた転機
18歳で上京した時に、就職先の鮨店で親方・吉武と知り合いました。当時、親方と同じ店に所属していまして、一緒に働いたのは2年ほど、同社には7年ほど勤務しました。それから和食の勉強をして、40歳を過ぎた頃、独立して札幌で店を開きたいと考えていた時に、親方からお話をいただいて2年間、経験をさせていただくことになりました。迷いもありましたが、絶対勉強になるからと親方に背中を押していただき、入社を決めました。香港店が開店したばかりの時期、親方が香港店の方に行っている間は、私が銀座店を任せていただいて、緊張しながらカウンターに立ってお客様をお迎えしていました。
─親方・吉武正博について
ストイックに料理を追求し続け、
変化させていく
親方は、とにかく料理に対してストイックに追求する人だと思います。何かを見に行く、何かを感じるということに対して特に徹底されています。美味しいものを見つけたら、食材、調味料などいいと思った材料をすぐ手に入れて自分で使ってみる。だからどんどん変化していくんです。さまざまなことに影響を受けて刺激を得られて、それが親方の作る料理に反映されているように感じます。他店を訪れた時に、料理に向き合っている姿は、使われている素材、もっと工夫できる点といった領域にまで踏み込んでいて、作り手としてとことん研究されている部分ですね。こういう熱意というか、美味しい鮨を食べて欲しいという想いは、親方の鮨を召し上がった時に、お客様にも伝わっているのではないかと思います。
─仕事の中で大切にしていること
感謝の気持ちを表した接客
美味しい料理を提供するのは当然ですが、お客様が居やすい空間を整えて、初めての方でも「家に帰ってきた」と感じられる落ち着きのある空間作りを大切にしています。ご来店の際は、一番最初に目を見ながら「いらっしゃいませ」とお声がけしています。お客様にお出しする際は、最初にインパクトのあるメニューで印象をつけるよりも、コースの最初から最後まで全部をお召し上がりいただいて、店舗の空間も感じてもらった時に初めて、すし宮川の食を味わってもらえたと言えるんじゃないかと考えています。私は、鮨というのは、自分の気持ちをのせて想いを伝えるツールだと思っているんです。そこにはこだわりがありますし、のせているのは来てくださってありがとうございます、という感謝の気持ちです。
─鮨よしたけでの学び
日々、料理を深化させる親方の情熱
親方がとても研究熱心で、料理が日々深化していくことは、現場で働きながら大きな学びになりました。ストイックな親方についていくのは大変でもありましたが、自分が経営者の立場になった今は、その時のお親方の気持ちがよくわかります。今日はこうだったけど、こうした方がもっとよくなるのでは、もっと調和が取れるのでは…といつも試行錯誤しています。必ず、こうやってみようという中での理由があるんです。サービスに関しても、料理はタイミングが重要で、何か遅れが生じたり突発的なことが起きて計画通りにいかない時でも、それがお客様に意図せず伝わらないよう、常に気をつけながら仕事をしています。
─鮨よしたけで働く魅力
チャンスを活かせる場所
もちろん、一流の食材、一流の器を含めてですけれど、チャンスを活かせるという点ですね。結局、やるかやらないかを決める時に、やって失敗するか、やらないで後悔するかに違いがあると思います。私自身、鮨よしたけに入社した当時は、このチャンスを逃したら次はもう来ないかもしれない、そう考えて決心しました。これまで、掴みきれていなかった自分がいたのかもしれません。一度チャンスをものにすると、さらにチャンスが巡ってくるんです。親方の店では、本当にいい勉強をさせていただきました。